八紘嶺から山伏(深南部)
2001.2.10〜11 望月 田中 岩間 田中 みー(記)
私達が毎年深南部に来るようになったのはこれが始まりだった。
山梨県民なのに、私以外誰も八紘嶺とか山伏を知らず、安部奥・深南部という名前も知らなかった。
まあよくわからないけど行ってみようという事になる。
この季節は林道が閉鎖になるので静岡経由で梅が島から入る事になる。
前日午後に山梨を出発して夕方梅が島に着き、温泉に入る。
駐車場にテントを張り宴会が始まると、望月さんが重大発表があると言う。
同じ雪稜クラブの人と結婚すると言う。私達は誰も2人が付き合っている事に気付かなかった。
宴会は祝宴に変わり、飲めや食えやで大いに盛り上がった。
翌日のお酒や食事にも手を出した事に気付き、みんなふと我にかえり宴会はお開きとなる。
10日、めでたいめでたいと出発する。
前年、みっちゃんとばあさん(ダーリンのあだ名がじーさんだから名付けられた)と大無間に行った時、
わかんを持たずに苦労したので、今回はわかんを持ってきたが、雪が少なそうと車に置いていってしまった。
1700mを越え、雪は増えだし膝下まで雪がある。
「わかん持ってくれば良かったね。」と言いながらラッセルを交代しながら八紘嶺頂上に着いた。
七面山からのトレースがあった。2人くらいで歩いたようだ。
このトレースを使わせてもらうが、ヤブの中に酔っ払いのようにクネクネを続いているので、
真直ぐ進んでシュートカットをしようとするが雪は腰まであり、ヤブをくねくね歩いた方が早いようだ。
それでも何度かショートカットを試してみるが、やはり雪は腰まである。
行田山付近で少し悪いトラバースが一度あった。(私以外はアイゼンもピッケルも出してないけど)
山伏岳の登りの途中にテントがあった。その先からトレースがなかったのでこの人達のトレースだった。
山伏への登りではラッセルとなるが、頂上近くからは雪がしまり歩きやすくなったと思ったが、
アメフトをやっていて体格のいい田中君は、一人ラッセルになってしまう。
山伏の頂上からはクラストして雪の上をあるけたが、やはり田中君は一人モナカ雪をラッセルしている。
気の毒だがどうしようもない。一人でラッセルをしながらついてくる。
山伏の避難小屋まではすぐだった。
避難小屋には何パーティーかいた。山伏まで来る人は沢山いる事。
今日も祝宴と行きたいところだったが、昨日食べてしまい質素な食事となる。
11日朝。下山をする。今日は次から次へ登ってくる。
完璧なトレースをたどり、新田のバス停まで降りる。バス停前のお店でおでんを売っていた。
おでんをつまみにとビールを飲みながらバスを待ち、田中君が梅が島まで戻り車を回収に行った。
後で知った話だが、下の駐車場で「樅の木」が翌日行田山に泊まりで宴会をしていたそうだ。
もしお互い気付いたら、祝宴は大いに盛り上がり次の日は山にいけなかったに違いない。
こんな事があり、「樅の木」と一緒に深南部に行く事が始まった。